長いこと宝性寺遍照講にご尽力を賜ったお仲間が旅立ました。
お仲間の旅立ちを偲び、宝性寺遍照講では”厄念仏”というお弔いの念仏をお唱えしております。
ふどう、しゃぁかぁ、もぉんじゃふぅぅげん...
という昔ながらのこの地区で守られてきた文句に独特な節回しを乗せ、御詠歌の証のみを使い叩き、故人さまの旅路の後押しを致します。
この歌詞の中で特に印象なのが、銭でも金でも開かない極楽浄土の門は、南無阿弥陀で開くというところ。
そして背中に法華経背負って。
本来、真言宗では密厳浄土思想で、南無大師遍照金剛という真言を大切にしていますが、そんな細かいことはここでは置いておきます。
大切なのは、”あちらの世界をしっかり見据える信仰が根付いていた”ということです。
人は亡くなったらどこにいくのでしょうね?
分かりません。
しかし、あちらの世界を信じてみると、”安心”が生まれるような気がしています。
皆さまはいかがでしょう?
現在、宝性寺遍照講で最高齢99歳の人生の大先輩がおります。
最初の写真は、その先輩の祈りに満ちたご焼香の一コマです。
この方の言葉と背中を筆頭に宝性寺遍照講の講員さまには多くのお知恵を頂戴しております。
そのお知恵のお一人の旅立ち。
しっかりと感謝をさせていただきました。
そして念仏が終わると皆でお清めがてら軽食をいただきます。
一つ一つがとても大切なことだと思っております。
こういう事を簡略していっては、、、
とにかく寂しいですね。
この辺のお話は、直接お顔を見てお話したいものです。
機会がありましたら、気軽に南浦和駅前、宝性寺にお越し下さいませ。
合掌